100周年に寄せて
進 藤 敏 廣
(昭和50年建築科卒)
 
 母校創立百周年おめでとうございます。

 私自身昭和五十年三月建築科を卒業しましたが、今こうして三十年という歳月の重み、伝統をひしひしと感じております。

 我が家の息子が今年卒業し娘も在学中でありますが、この様に親子共々秋田工業高校にお世話になり創立百周年を迎える事ができた喜びを感じております。

 思いおこせば入学した昭和四十七年に金砂寮、プールが完成し翌四十八年に新体育館ができ、さらに四十九年に創立七十周年記念行事があり母校の大先輩である体操の遠藤幸雄さんを向かえての体操の演技、ラグビーの招待試合などあったことを記憶しております。

 当時私は応援団に所属しておりました。応援団の練習はもっぱら校舎の屋上でやり、その練習たるや運動部と同様なきびしいものでした。「声がどれだけ出るか出してみろ」の発声から始まり腹筋運動、腕立て伏せ、もも上げ等の体力トレーニング又冬には運動部(空手部)と一緒に雪の中を天徳寺までのランニングなどで、かなり鍛えられた思い出があります。
  「声が枯れだがら出ねでね!枯れでがら出すんだ」と先輩に叱咤激励を受けながら練習したものでした。又声が枯れるため鞄の中には常にのどの薬(龍角散)を入れて持ち歩いていました。

 卒業後同級生の結婚式、自身の結婚式、その他、息子が在学中の父母の会合、現在娘がお世話になっているサッカー部の会合でも「応援団やれ」と声がかかります。

 秋田工業高校といえば伝統あるラグビー部が有名ですが私が在学中三年連続全国大会に出場し応援団の一員として同行できたことが一番の思い出かもしれません。今年もラグビー、駅伝が全国大会出場を決め他のクラブの活躍もめざましく、我々を喜ばせてくれております。

 創立以来「質実剛健」を校訓に掲げ日々鍛練しつづけ着実に歩みつづけてきましたが、つぎの二世紀に向け母校が益々発展されますよう心より願っております。