伊 藤 繁 治
(昭和31年土木科卒)
 
 「秋工土木31年卒母校百周年記念同級会」は、秋田幹事の企画で、母校の「記念式典」に合わせて行われた。卒業以来、11回目の「同級会」である。

 母校の「記念式典」には20名出席。「祝賀会」には代表の形で、杉沢利雄君(青森県「むつリハビリテーション病院」医師)と神田英男君(秋田市・母校教職員で退職)に出席して貰った。この間に<昼食>を千秋公園内の「鯉茶屋」でとり、その後、母校を訪問した。

 事務長の伊藤幸次氏に案内して頂き、多目的屋内運動場「金砂キューブ」、ラグビーのグラウンドを横切って「シャワー室」、そして「実習棟」を見学した。また、「同窓会館」に向い合う形の銅像「明日の太陽」も、じっくり鑑賞した。

 次に、恩師安藤晃先生の住まわれている千秋矢留町のマンション「ダイヤパレス」を訪ねた。先生は、体調がすぐれないにもかかわらず、奥様と並んで出迎えて下さった。そして、一人ひとりと握手を交わして下さり、それぞれに言葉をかけて下さった。

 先生が野球部長だった当時に部員だった落合博満監督の話は、次の機会に聞くこととし、「同級会」会場の男鹿桜島リゾートHOTELきららかへ向った。

 「同級会」は、大阪府豊中市から参加の勝本保君の奥さんも含めて、今まで最多の30名となった。(保君は手術後のリハビリ中で奥さんが同行された)
 「鯉茶屋」での<昼食>時や宿までのバスの中と、「日本酒の日」ということで、ウォーミングアップ十分だったので、宴会は一気にスパートの状態だった。

 「二次会」の「カラオケルーム」を出て、「三次会」は恒例となったが、幹事の部屋で行われた。改めて全員「近況報告」をしあったが、<国会>の議場のごとく騒々しくて、何度も「静粛に」が叫ばれた。
   こんな中で、杉沢医師(フルマラソン完走90回、百キロマラソン完走16回の健脚)の、-人間にとって①アルコールの利害(適度は良いが多量は毒)②タバコの毒(一種の病的状態)について-<講話>があったが、「馬の耳に念仏」状態だった。

 翌日の<観光>は、新装オープンした「男鹿水族館GAO」。三階をまわって出入口に集まり、予定した時間より少し早かったが、「寒風山」へ向った。雨模様で展望が良くなかったため、トイレ休憩のみで出発しようとしたその時、“事件”は現場で起きていた。
「茂木どごGAOサ置いで来た!」

 連絡がつかないまま、秋田中央ICから秋田駅東口へ向い、土木科卒らしく車窓より「秋田中央道路」の工事現場を見学して、手形陸橋を渡り、日程最終の昼食会場である秋田駅西口「ニューたけや」に落ち着いた。茂木君は追っつけやって来てくれた。茂木君はいい人だ。

 私達は在校中に「創立50周年」を迎えており、卒業してからは同窓生として約50年を経たことになる。

 まだ半数を超える同級生が在職中だが、それぞれご自愛あれ。次は「古稀」で再び肩を組み、「校歌」を歌おうや「秋のアナタ」たち。
(大曲市在住)