100周年にあたって
東京秋工会会長  澤 木 誠 一
(昭和26年電気科卒)
 
 母校100周年誠におめでとうございます。

 私は昭和20年4月電気科に入学しましたが、学生改革により3年ではなく6年間在学することになりました。昭和26年3月に卒業し県外の会社に就職しました。その会社は戦後の不況で5年振りの新規採用でしたが、秋田工業からは私一人でした。その時秋田工業の先輩が駅迄私を迎えに来てくれました。大変感激致しました。これが私と同窓会との初めての出合いでしたが、その後先輩には色々とお世話になって参りました。そしてその後今日迄53年の年月が経過致しました。母校創立100年の約半分にかかわり合っていることになります。

 私の同窓会に対する熱い想いは、若い頃にいただきました。諸先輩からの心暖まる御支援が原点となっております。今後は少しでも若い人達にその想いを伝えていきたいと思っております。

 私が入学した昭和20年4月は戦争末期で、授業より山の開墾にかり出される毎日で、終戦の前日である昭和20年8月14日の夜は空襲も受けました。
   その後戦後の不景気を乗り越えて神武景気、岩戸景気と目ざましい経済復興を果しましたが、その原動力となったのは米国に追い着き、追い越せという人々の熱意と私共技術屋の創意工夫でありました。この分野での私共同窓生の力は全国に亘り高く評価されるようになりました。

 然しながら、今日の秋田は私が住んでおりました頃とは大きく異なり、農業地域が工業地域へと変り、そしてその後空洞化が生じ、学校も生徒の減少と共に統合、廃止、学級の減少へと進んでおります。

 この100年を考えるとき、世の移り変りと共に人生に浮き沈みは必然的なものと思わざるを得ません。今こそ校歌における「勤労の精質実の徳」に想いを致し、技術屋のプロとしての自覚をもとに同窓会を充実し、同窓生の皆々が益々発展していくことを心から念願しております。