100周年を迎えた思い
静岡県支部  木内(旧村田)清
(昭和32年機械科卒)
 
 此の度秋工百周年式典に参加する機会に恵まれ、感無量でした。というのは、私達は50周年入学生だからです。顧みると、昭和29年頃は経済的理由で大学進学可能な者が少なく、私も就職を念願に秋工機械科に入学しました。角館町の在の出身だったため、朝5時起きして片道3時間の通学でした。当時は個性的先生が多く、体育のI先生はラグビーの授業でスクラムを組んだ時、腰が高いと言っては靴で蹴り上げ、一張羅のズボンを泥だらけにされました。専門教科のS先生は「機構」の授業で、頭脳明晰さを発揮され、生徒を悩ませました。秋工の看板は何んと言ってもラグビーで、私達が3年の時確か十回目の全国制覇だったと思います。卒業後も後輩諸君がしばらく伝統を引き継いで下さり、その都度同窓生達を勇気づけてくれました。

 校内クラス対抗戦も盛んで、ラグビーは雨天でも決行され、試合後びしょ濡れになって風呂に駆け込み、主人のひんしゅくを買いました。レスリングやボクシングも行われ、希望者が少なかったので、ジャンケンで選手を決めました。
  その他、厳しい応援練習・男子校生特有の威風堂々さ等思い出が尽きません。

 式典後の西沢先生の記念講演では専門のことは勿論、宮沢賢治や後藤新平の指導者としての資質等にも触れられて、氏の識見の高さに感動しました。翌日我々同級生は田沢湖高原でクラス会を実施し、旧交を暖めました。

 私は3年時、担任にNECを勧められましたが、日本育英会の援助で秋大に進学し、36年卒業と同時に数学教員として静岡県に採用され38年間の勤務を終了して平成11年退職、現在は私立高校で非常勤講師をしております。現職中は甲子園でおなじみの静岡高、韮山高等進学校が主で、東大、京大等進学指導にも関わりましたが、我々仲間のことを考えると進学校に入っておれば、これら超一流大学に挑戦可能な者が少なくとも数人いたと思われます。このような優秀な仲間と一緒に学べたことを誇りに思うとともに、母校で得た自信を糧として、余世を過ごしたいと思います。