私にとっての100周年とは
仙北谷 孝 治
(昭和31年機械科卒)
 
 私にとっての百周年とは何だろう。

 数えてみると私の二年生の時が丁度創立50周年にあたっている。が、当時50周年の記念行事の記憶が全くないのである。

 同窓会名簿の沿革を見たが、それらしい記念行事が行われたことが記載されていないところをみると何もなかったと思う。

 折角の50周年の節目だったのにと、今にして残念な気がしている。

 百周年に対する想いは各年代によって様々な感慨があると思う。そこで2、3の卒業生に意見を聞いてみた。

 先ず20才代中頃「すごい歴史と伝統だと思う、先輩には素晴らしく偉い人も多いし-。でも自分達若輩者が入っていけない雰囲気がありますネ」と。

 次に30才代前半「サァー、あまり関心がないな大先輩の人達のお祭りみたいな気がする。マァー伝統は感じるけど」と素っ気ない。
   最後に60才台後半の人「式典に出席し百年の伝統の重みに感激した。しかし若い人の参加が少なかったのはちょっと寂しかったネ。でも俺達はこの後恩師囲んで全国から集った同級生と飲んで騒ぐのが楽しみだから」

 やはり伝統の重さと、先輩、後輩の絆の強さを誇りに思っている半面、若年層の参加意欲の低さも感じられたことであった。

 さて、私にとっての百周年とは

 それは質実剛健の伝統と、その伝承の確かさではないか。二万九千余人の中の1人として50年前にタスキを受けそして渡してきたのである。そのタスキが更に50年を経て色褪せることなく、より輝きを増して次なる百年に向ってスタートした年であると考えている。

 最後に、この原稿を書いているときに母校が花園行きと決めたとの報せを受けた。まさに100周年、60回の節目の出場となりました。

 健科を祈る。トララ秋工秋工トラララー。終