開校記念講話 講演風景
「記念講話の中から」
記念誌監修者 半 田 和 彦
 
 平成15年5月20日から縁あって百年誌編さんに関係しました。以来、学校関係者の絶大なご理解のもと多数の資料を集めていただき係の先生達の献身的な努力で373頁にも及ぶ立派な記念誌が完成したことは誠にうれしい限りです。ここでは今年4月28日、体育館で生徒の皆さんにお話しした内容の一部を再度御紹介したいと思います。一時間余りの中で紹介したテーマは次の9項目でした。

 江戸時代の産業教育、官営模範工場作られる、明治政府の産業政策、産業は軽工業から、日清・日露戦争、秋田工業学校の設立、初代校長の教育方針、授業からわかること、注目すべきこと。

 これらの中から「授業からわかること」の一部を述べます。『大正5年 行事日誌』と表題された一冊の資料が公開されたことで創立当初の学校生活が生々と浮び上がることになりました。その中では4月に学年間での気合かけの禁止に関する記事があります。「従来、各学年間に階級厳に過ぎて下級生は畏怖していることを耳にする。これは良くないことである。
  二、三日前には2年生が1年生を集めたとか、……生意気な者がいれば制裁を加えるとか、……それぞれの生徒、特に市外の生徒は保護者から学校が預かっているのだから生徒間の相互に危害を加えることは禁止する。……」。程度の差こそあれ昭和と名の付く時代まで、どこの学校でも見られた、良く言えば“伝統”が大正期に始まっていたことがわかります。

 又、大正6年5月27日a、講堂で「本校出身者第九回同窓会を開催し、会長より左の役員を指名せり」の記事があります。このことから大正6年で第9回ですから逆算すると、同窓会は明治42年に始まったことになります。第1回の卒業生が出てから2年後のことです。この資料の出現で本校同窓会は従来大正14年10月1日とされて来ましたが、それより16年も早く、大幅に修正されることになりました。

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