財政苦境を何とか救えないか
佐々木   武(昭和32年電気科卒、元幹事長)
 
 明治37年の創立から104年を迎えた伝統ある県立秋田工業高等学校。

 「カナサ? 工業卒業だか?」「何年卒業?」「◯◯年△△科だ」こう話が進むと、初対面であっても旧知の先輩後輩に変身する。これが同窓のすばらしさである。

 本誌「秋工同窓会誌」を同窓生全員に送付するようになったのは、31号(平成8年)からである。何しろ同窓生2万人への送料だけでも多大な経費がかかる。

それは「同窓生の“絆”を維持していきたい」とのみんなの熱意により実現したものである。

その当時、全員送付は全国的にも珍しいといわれた。あれから12年が経つ。

その間、ラグビー全国大会の募金趣意書に同封させてもらう形に助けられて今まで継続されてきた。

 しかし、近年事情が変わって全員送付が財政的に難しくなったという。

勝負の世界であれば、勝つ時もあれば負ける時もあるのは当たり前のことで、何よりも会費納入者の減少が追い打ちをかけた。

 同窓会は、常に凜としていなければならない。健全財政を確立し、母校と我々同窓生をいつまでも見守って欲しいと願っている。

今までも何度か、苦しいときには同窓生みんなで助けあってきた。
   母校と同窓生、同窓生どうしの絆とコミュニケーションを維持し、そして同窓会の健全財政確立のために、何とか会費納入にご協力願えないものだろうか。

 昭和32年卒業電気科B組の私たちは、卒業後半世紀を超えた。

45人の同級生のうち、既に7人が他界している。

同級会も同窓会があってこそ盛り上がる。

 仙台、水戸、那須と巡回して、今年5月、5年ぶりに秋田で同級会が開催された。

 母校では特別な計らいで電気科実習を見学させてもらった。百周年記念事業の「金砂キューブ」と思い出の「第2体育館」前で記念撮影。

その日は「秋田温泉さとみ」に全員で1泊。翌日は秋田市の赤れんが館やねぶり流し館など文化施設を見学して解散した。

 卒業以来50年ぶりに母校を訪れた人もおり、懐かしいひとときであった。


【目次へ戻る】