秋工同窓生、畏るべし -日本のシュリーマン-
教 頭 野 口 俊 温
 
 本校に赴任し、慌ただしく前期が終わろうとしている頃、一本の電話を受けました。

「天野博物館」友の会事務局長M氏からのものでした。

 用向きは、天野芳太郎生誕百年の記念式典が、生地男鹿脇本で行われるので、その際、芳太郎氏の母校である秋工を是非訪問したい、というものでした。

浅学のため氏がどういう人物か存じ上げておらず、失礼な対応になったかと思われます。

 電話を置いてから、天野芳太郎氏について調べたところ、偉業をなした人物であることがわかりました。

「秋工百年誌」に詳しい記載がありますが、一部紹介します。


   氏は大正五年に本校を卒業した機械科十期生で、若くして中南米のパナマに渡り、その地でデパートを開業し成功を収め、事業をチリ、ペルー、コスタリカ、アメリカへと広げ巨万の富を築き、その財を博物館建設にあてました。

 インカ帝国を中心とする南米遺跡の膨大なコレクションは現在、ペルーのリマ市にある「天野博物館」に収蔵されているとのことです。

 青年時代に出会ったシュリーマン(ドイツの考古学者)の伝記がその源でした。

 氏の業績は、遥かアンデスの地で日本のシュリーマンとして高く評価され、ペルー国の文化功労賞や国際交流基金賞などを受賞されているとのことです。

 秋工同窓生、畏るべし!の感を強く持ちました。

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