私の秋田国体
熊 地 春 悦 (昭和37年機械科卒)
 
 私は、第16回秋田国体(昭和36年)にバドミントン少年男子の選手として出場しました。(経法大付属高校、市立高校の選手と私)

 私は体が硬くフォームがしなやかではなかったので、手首を鍛えドリブンクリヤーとカッテングスマッシュを武器にしておりました。

 2年生の春頃国体候補選手となり、会場である象潟町で、翌年の国体開催まで、延べ半年近くも強化合宿をしました。

 今思えば勉強はいつしたのか、記憶にありません。補習も受けずに、毎回の試験を良くクリアーしたものだと今更ながら感心しています。

 冬の象潟は、通年降雪の無いところですが、寒さは厳しく毎朝の鳥海登山道のランニングは、涙の出る思いで走ったものでした。

 国体での我々少年男子は、ベスト8(第5位)。秋田県は、種目総合優勝で上々の結果でした。

 春の修学旅行は、強化合宿と重なり、池永顧問から「旅行に行くか、国体を目指すか」と言われ国体の強化合宿を選びました。

 今でも、修学旅行に行かなかったことは、私にとって複雑な思いです。
   このたび、秋田県バドミントン協会副会長として、46年ぶりの2度目の秋田国体に関与できた事は、素晴らしいと事と思っております。

 選手達には勝ってもらいたい(種目総合優勝)、競技役員には全国の人に、思い出の残る大会を運営してもらいたい。

 どちらも、大事な事なのですが、両方を統括する立場にあり大会期間中は、緊張の連続でした。

 結果は、46年ぶりの種目総合優勝を飾り、秋田県選手・役員全員が歓喜の声をあげました。

 その中で、少年男子は我が秋工生(甲谷君、工藤君、信太君)、3人とも純粋な秋田県人チームで、練習の成果を遺憾なく発揮しました。

 結果は、惜しくもベスト16であったが、秋田県選手団の一員として私の時と同じく、種目総合優勝に寄与し満足している事と思います。

 この後も、秋田工業高校バドミントン部部員には、いろいろな大会で素晴らしい感動を、与えてくれる事を期待します。

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