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2005年から関東ラグビーフットボール協会の仕事をする事になり「今年の秋工ラグビーはどうですか?」と知人から聞かれ、県代表になれない時などは返答に困る事があります。 高校時代ラグビーでお世話になったお陰で現在があると感謝し母校ラグビーの強化に何かお手伝いが出来ればと考えているうちに卒業して51年にもなりました。 秋工ラグビー復活へのヒントになればと考え、私が平成14年から4年間、早稲田大学ラグビー部OB倶楽部幹事長として経験したことをご紹介しようと思います。 早稲田のスポーツは平成2年から13年までの12年間、ラグビーだけでなく野球、サッカー、駅伝(競走部)など多くの競技で低迷を続けてきました。 原因を簡単に説明すると、大学側が「東大に追いつけ、追い越せ」の学力主義に陥り、大学の個性の一つだった部活動をないがしろにした点が挙げられます。 危機的な状況下に各部のOB会が立ち上がり、大学側に積極的な働きかけをしました。 その結果、次のような対策を決め、実施していきました。 1)大学の対応策 副総長が委員長となりスポーツ振興協議会を設置し、強化策を立案実施した。 ①特別推薦制度の確立 入学試験の推薦制度の改革により、その道に秀でた学生が少数ではあるが入学可能になった(従来の学力重視を本来のあるべき姿に戻した) ②特別強化費の援助 H14年から3年間の時限立法。支給額はランク別で、野球、ラグビー、駅伝(競走部)は特別強化部に指定され、その他の部もランク分けされた。 2)ラグビーROB倶楽部の対応策 ①幹事会内部に強化委員会を設置(委員長=ROB倶楽部副会長) ②監督人事決定部則の制定(監督の選任は幹事会が推薦し部長〈大学〉が承認) これまでの監督人事は、学生が幹事会に推薦し部長が承認するのが慣例だった。 だが、この制度ではどうしても学生の機嫌取りをするような監督が生まれる傾向にあった。このため、新しく部則を作り、幹事会が推薦し学生の同意を得て部長が承認するようにした。 ③監督、清宮克幸君を推薦 フルタイムで指導、企業から出向できる環境を条件に、OBから候補者を検討した。 その結果、科学的に勝つためのノウハウを持っており、指導力のある清宮君が浮上。学生と再三に渡って話し合いを行い説得した。 ④設備等の援助 トレーニング機器の寄付・グランドの人工芝設備の寄付 幸運にも早稲田は、清宮体制2年目となるH14年に、13年ぶりに大学選手権を奪回することになります。 |
それを含め4年間で3度も頂点に立つなど劇的な復活を遂げたことは、皆さんの記憶にも新しいと思います。
私立大学の早稲田と、公立高校の秋田工業では、学校運営や予算など同じ土俵で比べることはできないかもしれません。 ただ、歴史と伝統を持ち、素晴らしいOB達がいるという点は同じです。 秋田工業は昭和23年~30年代に、中村久次郎校長、高桑栄一部長、佐藤忠男監督と、ROB会の相場重一氏、谷藤正三氏、田口裕章氏、宮腰繁氏ら情熱あふれる方々が活躍し、輝かしい黄金時代を築き上げました。 まさに、学校とOBがチームワークを組んだ勝利だったと言えるでしょう。 その時代に選手として活躍した経験者が、まだROB会に残っている今だからこそ、秋田工業にも復活のチャンスがあると信じます。まずは、その人達にノウハウを出してもらい、ROB会の幹事会内に強化委員会を設置してはどうでしょう。 そして、秋工ROB会が先頭に立ち学校と話し合い、どのように再建を推進していくのか。 学校は少子化対策の一環としても、校技であるラグビーを今後どのように位置づけて再建するかの責任があると考えます。 巨人軍の黄金時代を築いた元監督・川上哲治氏の著書「遺言」に「勝利の値打ちは三通りある」という一節があります。 「①勝つ事は難しい ②勝ち続けることは、なお難しい ③いったん手放した覇権を取り返すことは、さらに難しい」。 秋工は、昭和62年から現在までの20年間優勝できないでいるだけに、このような環境から抜け出す為には余程の決意を持って立ち上がらないと出来ないと思います。 ROB会が先頭に立ち、一歩を踏み出してくれることによって、同窓会本部、東京秋工会、大阪支部、後援会の皆様が、必ずや賛同し応援してくれることと確 信しています。 全国のOB・同窓は、秋田ROB会の奮起を今か今かと待ち望んでおります。 母校ラグビー復活にかける情熱あふれる活動を見るにつけ、我々在京ROB、また秋田ROBが奮い立たなくては申し訳ないと痛感させられます。 全国のラグビーOBの皆様、母校ラグビー復活のために立ち上がりましょう。
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《注》早稲田大学の体育各部の運営は対外的には大学が責任を持つが運営面はOB会が「財務、日常生活指導、就職活動、技術競技指導」等を実施しております。 | ||||
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